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Rogue Engineer's Diary / やさぐれ日記

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2006-03-01

[The Yakumo Project] 「日本Wikiエンジン輸出計画」

つい先日、『た だただし@「ただのにっき」のエンジニアいとをかし/Tech総研』からトラックバックを頂いた。リンク先の記事を見ると「ニッ ポン輸出計画」と、これまた刺激的なタイトルが。以下、同記事から引用する:

産総研の江渡浩一郎さんが、WikiSym 2006向けの論文を募集し ています。WikiSymはその名のとおり、Wikiに関する国際的なシンポジウムですが、昨年参加してきた江渡さんは、海外のWikiエンジンに比べ て、国産のWikiエンジンは独特で面白いと感じてきたようです。そこで日本Wikiエンジン輸出計画と いうのを国内のWikiコミュニティで発表し、今回の呼びかけになりました。

あと2ヶ月足らずで論文執筆と英訳をしなくてはいけないので、なかなかハードルは高いですが、さまざまなスキルを持った仲間が集ま れ ば、いろいろとサポートしあえるのではないでしょうか。

英訳といえば、昨年末、日本の小惑星探査機「はやぶさ」に関する情報を英訳することから生まれたJSpaceが思い起こされます。 国内 の宇宙開発好きな人々の間に自然発生的に生まれたコミュニティが育ったもので、海外の宇宙探査ファンに多大な情報を提供しました。この活動の元になった The Yakumo Projectは、上のWikiSym向けにも活躍できるかも知れません。

実を言うと僕のほうでも、上記の産総研の江渡さんが開発しているWikiエンジン、qwikWebのサイトの英訳プロジェクトを立ち上げるべ く、今年始めからひそかに活動を始めていたのであった。いろいろな事情で現在のところ少々中断してはいるが、日本のWikiを英語圏へ紹介するという点で、両者の方向性はぴったりと一致する。そもそもqwikWeb日本Wikiエンジン輸出計画も、共 に江渡さんの手によるものであるという点からして、まるで狙い澄ましたかのようなピンポイントぶり。たださんはもしかして、この辺の事情をすべて知った上 で、上記の記事を書かれていたりしたのだろうか。う〜む……

……なんてことはどうでもよくて、ともかく日本Wikiエンジン輸出計画に ついては、手伝えることがあるならば喜んで手伝わせてもらうつもりである。まずは江渡さんにコンタクトをとってみることにしようか。quikWebのサイトの英訳もなんとかしなければ (これについては後で書く予定)。

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2006-03-04

[NerdTV] Bob Kahn: TCP/IPの父、インターネットの前身であるARPANETを語る

さて、こちらも久々のNerdTV翻 訳であるが、今回はその第12話、Bob Kahnのインタビューをお送りする。Bob KahnはVint Cerfと共にインターネットの基盤と言うべきプロトコル、TCP/IPを設計した人物である。

今回紹介するのはインタビューの18分18秒あたりから始まる一節、インターネットの前身となった、世界最初の本格的なコンピュータ ネットワーク、ARPANETが出来上がった経緯について。今か ら40年ほど 前の1966年ごろ、マサチューセッツのコンサルティング・技術開発系企業であるBB&N(Bolt, Beranek and Newman)にいたBob Kahnが、ネットワーク構築に関する提案書を執筆し、それがアメリカ国防総省の研究機関であるDARPAへ提出されたあたりからのエピソードである。

Bob Kahn: どんな提案であっても、予算が下りない可能性というのはありますからね。

Bob Cringely: まあそうでしょうね。でもその提案であなたの人生は変わった。

Bob Kahn: その通りです。当時私は、BB&NでFrank Heartをリーダーとするチームの中にいて、他にシステム開発を専門とする人たちとも一緒に仕事をしていましたが、彼らはリアルタイムシステム関係の人 々でした。もの作りというのをよく知っていた人たちでしたね。私は基本的に、アイディアを提供する役目だったんですが、彼らと一緒になって動くシステムを つくり、実際に稼動させるところまで持っていくことが出来ました。この出来事は本にもまとめられています。Katie Hafnerの書いた"Where Wizards Stay Up Late"という本です。その本の初期のドラフトでは、実際に何が起きたのかについて、彼女は全体像がつかめていないようだったので、どのような話を本に 入れるかについて、かなり詳しく打ち合わせを行いました。あれは本当に良い本ですし、全体としてインターネットの誕生の物語を紹介することに成功している と思います。Mitchell Waldropも"The Dream Machine"という本で同様の話をまとめていますが、そちらはLickliderの視点を元に、コンピュータ産業の側から見た様子が中心となっていま す。ともかく、私はそのあたりの時期から、(ARPANETの)最後までかかわっていたわけです。システムがうまく動くことが分かり、稼動を始めるように なって間もなく、ネットワークのデモンストレーションをすることになりました。世界初の、ネットワークの公開デモです。会場はワシントンのヒルトンホテ ル、1972年10月のことでした。デモンストレーションに先立ち、いろいろな種類の端末を大量に寄贈してもらいました。あれはネットワークというものが 現実の世界に根を下ろすきっかけとなるイベントだったと思います。さまざまなマシンをネットワーク上で稼動させなければいけませんでしたし、またプロトコ ルも実用に耐えるレベルまで持っていかなければなりませんでした。いろいろと間に合わせる必要があったわけです。

Bob Cringely: そのデモがいわば「締め切り」というわけだったんですね。

Bob Kahn: そうですね、確かに「締め切り」と呼ぶのにふさわしいものでした。あれが事実上の最終試験であったと思います。そのすぐ後に、私はDARPAの職員にな り、そこで13年ほど勤務しました。

Bob Cringely: 1972年にそうい うこ とがあったわけですが、実際に開発を始めたのは1966年から1967年にかけてということで良いですか?

Bob Kahn: そうです。BB&Nで開発が始まったのはその時期です。

Bob Cringely: その過程でネットワーク上にノードがいくつも作られていった、と。最初のIMPはUCLAに設置されていましたよね。

Bob Kahn: 確か1969年の1月に選定を受けて、それからネットワークに設置されるノードの第一号を先方に引渡すまでの期間が9ヶ月ほどだったと思います。私たち は、あれのことをInterface Message Processor、略してIMPと呼んでいました。IMPの実体はミニコンピュータを改造した、パケット交換機でした。Honeywell 516をベースにしたものです。

Bob Cringely: 電話ボックスくらいの大きさでしたよね。

Bob Kahn: 冷蔵庫と呼ぶ方が近いでしょ う か。重さもそのくらいでしたけど、きちんと動作してくれる機械でした。設置した後、特別な調整なしに、すぐ使えるくらいの安定性がありましたからね。

ということで、9ヶ月後にIMPの一号機、10ヶ月後に二号機、 11ヶ月 後には三号機を送り出すことができまし た。1969年の12月にはアメリカ西海岸に、小規模な4ノードのネットワークが稼動しているという状況となったわけです。UCLAに一つ、Menlo ParkのStanford Research Instituteに一つ、Santa BarbaraのUniversity of Californiaに一つ、これがIMPの三号機です。そして四号機はUniversity of Utahに設置されました。カリフォルニアに三角形があり、枝が一つユタ州に伸びている、という状態でしたね。DARPAはそこでの稼動状況を見て、ネッ トワークの規模をさらに大きくするか否かの判断をすることになっていましたが、当然ながら稼動状況は非常に良かったということで、彼らは直ちに、計画を第 二段階へと進めました。そこで4ノードのネットワークが19ノードのネットワークになり、最終的には、1983年ごろの時点で100ノードを超える構成に なったのです。その1983年ごろに、ネットワークは分割されることになりました。分割された片方は研究コミュニティ用のネットワークとして存続し、もう 片方はより実際的な運用に向けて、軍が引き取っていきました。

軍の人たちは、例えば大学のキャンパスなどに置かれていたネットワークのノードを、自分たちの基地へ設置し直して、一息つくことが 出来 るようになり ました。世界最初のコンピュータネットワークは、そんな経緯を経て出来上がった、というわけです。私たちはこのような出来事に参加できて、とにかく幸運 だったと思います。私もその一員ではありますが、それ以外にも多くの人がかかわっていました。プロジェクトを指揮していたのはDARPAのLarry Robertsです。Larryは何というか、プロデューサーとか、アーキテクトと呼ぶのがふさわしい人物なのではないかと私は思います。彼はある意味、 このプロジェクトの全体をコントロールしていたのですが、そのような立場にいると実装者の役目を果たすのはとても難しいということを、その後、彼の後を引 き継いで から実感しました。それはともかくとして、Larryはこのプロジェクトの指揮者だったわけです。私はその下で本格的なシステム設計を行い、 BB&Nにいる他のグループが責任を持って実装する、という役割分担でした。彼らの進め方は、「まずハードウェアを作る、次にそれをテス トして、 その後にソフトウェアを書いて、プロトコルは最後に仕上げればいいだろう」というものでした。さらに、コミュニティの中には実際にマシンを接続したり、あ るいはコンピュータがお互いに会話できるようにするにはどのようなプロトコルを使えばよいだろうかという検討を手助けしたりする人たちもいました。そもそ も、 ビットをあちこちに飛ばすことが仮に出来るようになっても、飛ばされたビットを実際にコンピュータが使えるようにするというのは、それとは全く別の話です からね。そのような背景のもと、Vint Cerfと私は出会ったわけですが、私がDARPAで勤務するようになった後に彼と協力してやったことが、インターネットという大き な仕事につながりました。

NerdTV #12: Bob Kahn by Robert X. Cringely and PBS福 盛秀雄訳)

Katie Hafnerの書いた"Where Wizards Stay Up Late"は「イ ンターネットの起源」というタイトルで日本語にも翻訳されている。この日記の2004年9月22日のエントリでも紹介しているので興 味がある方は参照いただきたい。


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# しゅ [ちょーど、日本時間の3/4に、Interface Message Processorを見てきました。 http://..]

# 福盛 [うらやましい……今度機会があったら絶対見に行こう。 ]

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2006-03-05

[Modern Compiler Implementation in ML] "AssignColor"までを実装

レジスタ割り付け部もようやく終わりつつある。今回は"AssignColor"の実装。実装後のプログラムはこちら

2005年9月23日の日記「テストケースの用意と"freezeMoves", "freeze", "selectSpill"の実装」で例として出したテスト用グラフを使って、レジスタ割り付けを実行した結果は下の図のようになる。本来ならばレジスタ 数が3つ(K=3)の状態で実行し、レジスタのメモリへの退避(spill)が起きるのを確認するのだが、ここでは話を単純にするために、レジスタ数が4つの状態で実行している。とりあえず、実線同士で結ばれたノードには必ず別の色(レジスタ)を割り当て、点線同士で結ばれたノードには可能な限り同じ色 (レジスタ)を割り当てるという、大体の雰囲気はつかめるものと思う。

2005年4月10日の日記「は ぎゃ先生の講義資料から」で紹介した、レジスタの割り付けの様子を示したスライドに近い図がこれで何とか出せるようになった。一通りテストをした後、最後の山、"RewriteProgram"(最初の図の 右端、色のついていないノード)に取り掛かることにしたい。

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2006-03-07

[NerdTV] Bob Kahn: ARPANETからインターネットへ、TCP/IPの登場

前回に引き続き、NerdTVによる、TCP/IPの 父、Bob Kahnへのインタビューの日本語訳をお送りする。今回はTCP/IPの誕生と、インターネットの成立について語っているところ。インタビューでは23分 22秒あたりから始まる一節である。

Bob Cringely: あなたはDARPAに勤務していて、 ARPANETの構築に参加しながらその仕様 を固めたり、理論的な仕事を数多くやったりしていたわけですよね。その当時にもARPANETにはいくつかのプロトコルが存在していたはずですが、あなた は(BB&Nから)DARPAに移った後に、新しいプロトコルを作る必要があると感じていた。それについて教えてください。

Bob Kahn: そうですね、ARPANETでは理論的な研究が数多く行われていたのですが、そういった仕事 は主に、UCLAのLen Kleinrockなどのところで行われていました。UCLAでは当時、沢山の学生がネットワークのパフォーマンス予測や分析の方法を研究していたんで す。シミュレーションレベルの研究はNew York州Glen CoveにあるNetwork Analysis Corporationで、Howard Frankとその周辺の人たちが盛んに行っていました。私たちの方は実際にシステムを稼動させるためのエンジニアリングをやっていました。私たちの仕事は システムを実際に構 築するというものです。理論的な話はあまりやっていませんでした。アルゴリズムをデザインしたり、どのようにすればうまく動くようになるかということにつ いて考えてたりはしていましたが、最終的にはコンピュータ同士を接続できるネットワークを作る、というところに落ち着くわけです。コンピュータは、ネット ワーク上にある線のどれにビット列を送信するか指定したり、そのビット列がどこへ行くものか、またどこから来たものであるかを知らせたりすることは出来ま したが、それらはすべて、一つのネットワークに閉じたも のでした。もしも他のネットワークをつなげようとした場合には、ARPANETのhost protocolの仕組みでは、世界のどこかの、別のネットワークに接続された、任意のマシンを相手にするということは出来なかったのです。

Bob Cringely: それではイ ン ターネットにはならない、というわけですね。

Bob Kahn: そうです。そのようなことを実現するような努力をしない限りは。

さらに言うと、ARPANETにはコンピューティングにとって非常に役に立つ機能が、多数備わっていました。具体的に言うと、デー タを確実に送信先へ送るための仕組みで す。お互 いに ダイレクトに つながっていて、もしもデータが届かなければ、何かおかしいところがあるはずだ、という風に考えられるようにするわけです。例 えば、あなたがプリンタで何かを印刷しようとしたけれども何も出てこないということになったら、普通はどこかが故障していると思いますよね。その一方 で、例えば無線での通信といったような、より現実的な通信環境では、どこも故障していないのに通信が出来ない、ということは十分にあり得ます。例えばトン ネルの中にいるような場合だと、トンネルの中に電波を届かせるような仕組みを作らない限り、電波というのは届かないわけです。また、あなたと通信相手の間 に山があるような場合には、電波が山を通り抜けて伝わることはありません。意図的な妨害であるか、単に途中に障害物があるかを問わず、そんな状況になる場 所にあなたがいるというのは十分に考えられます。ですから、例えば無線ネットワークを使っているような場合には、通信は出来ないけれども、厳密な意味では どこも故障してはいない、ということが起こりうるわけです。

このような問題に対しては、新しい方法で対応しなければいけないと私は思っていました。信頼性が十分でない通信経路にどう対処する か、 そしてネット ワーク上にあるマシンのアドレスを指定する方法はどのようにすべきか、という二つの大きな課題があったわけです。そういった課題に対する答えとして、大幅 に見直されたプロトコルが誕生し、それを我々はTCPと呼びました。その後、インターネットに関係するプロトコルをそこから分離し、独立させることにし ました。TCP/IPという名前の裏には、そういう背景があります。IPの部分はネットワーク上のマシンのアドレスを指定する方法と、そのIPアドレスを 元に、ネットワークの経路を決めるという役目を負い、またTCPの部分は、通信データを適切に組み上げることにより、二つのマシンが直接に通信をしている ような効果をもたらすという役目を果たすことになりました。ネットワークというのは千差万別ですし、あるネットワークでは大きなパ ケットを受け付ける一方で、別のネットワークでは小さなパケットしか取り扱うことが出来ないということが起こり得ます。そのような場合には、大きなパケッ トを小さなパケットに分割して、その分割されたパケットそれぞれに、行き先のアドレスを付けてあげるという作業が必要になります。それぞれのパケットは別 々の経路を通っていく可能性があるので、そのようにしてやってきたパケットの集まりをどのようにまとめあげるか、またそれぞれのパケットが、送信データの 中のどの位置に相当するものかを知る必要も出てきます。このプロトコルがそのあたりの面倒を見てくれるというわけです。パケットの中には重複し て送られるものがあるかも知れませんし、あるいは再送信が必要となったり、順序が狂っていたり、途中で消えてしまっているものがあったりする、なんていう ケースが起こり得ますが、そのあたりをカバーするのが(TCP)プロトコルの役目です。実際に使われるネットワークの(物理的な)姿に依存せずにネット ワーク構築を可能とするよ うな、論理的なフレームワークというものを考え出すべく、大変な努力を行いました。オリジナルのデザインが優れていたところは、その後に現れたネットワー クのほぼ全てに対応し、それらを大きなネットワークの一部として取り込んでいくことが出来た点にあると思います。それも全て、土台となるネットワークが何 であるかに依存せず、 相互のやりとりの方法に焦点を置いたアーキテクチャであったという点に集約されると思います。プロトコルが分かれたのにはそのような背景があったというわ けです。

Bob Cringely: 数多くのプロトコルや技術が現れては 消え ていった中で、TCP/IPがこれだけ長く使われ続けているというのは驚異的なことだと思います。例えば、X.25が世界標準となるという話も ありましたが、実際にはそうはなりませんでしたよね。

Bob Kahn: まぁ、X.25は沢山の人に使われていましたし、基本的にはバーチャルサーキット形式の接続のための規格ではありますが、今 後も多分、分野によっては生き残ることでしょう。インターネットの特徴として一つ指摘しておきたいのは、開発が理論的ではなく、実践的なレベルで行われて いたという点です。というのも、私がDARPAに勤務するようになって最初にやった仕事というのが、新たに二つのネットワークを作り上げるというものだっ たからです。そのうちの片方のネットワークは少し前に開発が始まっていたのですが、実際のところはARPANETのノード間を結ぶ、モデム接続の一種とい う感じのものでした。私たちはそれを、異なるインタフェースを持つ、独立した一種のネットワークとして成立させ、それらのノードの間に一種のゲートウェイ をおくという 開発を行いました。ここで言うゲートウェイというのは、現在はルータと呼ばれるものに当たります。もう一つの方のネットワークは、パケット無線ネットワー クと呼ばれるものですが、現在のCDMA技術の先祖に当たるもの、と説明したほうが、人によっては分かりやすいもしれません。

パケット無線ネットワークのノードは、一立方フィートくらいのサイズでした。重さは50ポンドから75ポンドの間くらい。がんばれ ば運 べないことはないですが、さすがにシャツのポケットには入りませんね。

Bob Cringely: 無理でしょうね。

Bob Kahn: それが開発されていた1970年代の中ごろで、ノード一つ当たり5万ドルしていましたから、今の価格に直すと、多分25万ドルから35万ドルほどになりま す。ということで、非常に高価な機械でした。しかしマイクロコンピュータを組み込んだ機械としては、歴史的に見ると一番最初とは言わないまでも、最も初期 の機械の一つ(として貴重な存在)であったと言えると思います。こ のプロジェクトを立ち上げたのと、マイクロプロセッサが発明されたのとはほぼ同じ時期でしたから。ちょうどIntelの8008が登場したばかりのころで したね。その前が4004で、それが世界最初のマイクロプロセッサでしたし。我々が使ったのはNationalのM16と呼ばれるプロセッサでしたが、こ れは市場に出回った最初の16ビットマイクロプロセッサでした。我々の無線ネットワークノードはまた、拡散スペクトラム技術も採用していました。それ自体 は以前にもあちこちで利用されている技術ではありましたが、私の知る限りではそれらは全て軍用に限定されていたと思います -- この技術は信号を広い周波数帯域にかけて流すことで、例えば電波の干渉の影響を減らすとか、信号強度を低く抑えるということを実現するものです。

Bob Cringely: あるいは盗聴されに くく するとか。

Bob Kahn: そうですね、あと電波妨害に対抗するとか。私たちは最終的に、このシステムが実際に動く様子をデモンストレーションするところまでこぎつけることが出来ま した。デモンストレーションでは表面弾性波素子(surface acoustic wave devices)というものを利用したのですが -- 確か、最初のバージョンはTexas Instrumentsが作ったもので、その改良版がLincoln Labsにあったので、私たちはそれを使ったと思います。実際にどのような仕組みで動くのかをデモンストレーションした後、無線ネットワークの実地テスト に移り、30から60ノードからなる小さなネットワークを作りました。その時点で、この技術が使えるものであることが実証されたわけです。ということで、 私 たちが持っているネットワークは、100から400キロビット/秒くらいの速度で通信可能なパケット無線ネットワークが一つ、専用回線を使って50キロ ビッ ト/秒で通信するARPANETが一つ、そして人工衛星のIntelsat 4を使ったパケット衛星ネットワークが一つ、という状況となりました。三つの異 なったネットワーク、通信速度もそれぞれ違っていますし、パケットサイズもインタフェースもバラバラだった、ということで、これらをどうやって束ねてやる のがよいだろうか、というのが、切実な問題として目の前に現れてきたわけです。

そしてそれこそが、インターネットというプロジェクトのきっかけ、原点となったのです。

NerdTV #12: Bob Kahn by Robert X. Cringely and PBS福 盛秀雄訳)


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2006-03-11

[NerdTV] Bob Kahn: TCP/IPの父いわく、「IPアドレスを32ビットにしたのは……」

前々回前回に続き、NerdTVによる、TCP/IPの 父、Bob Kahnへのインタビューの翻訳の第3弾をお送りする。今回はIPアドレスの設計にまつわるお話。一つの山場と言っても良いであろう。インタビューでは 33分45秒あたりから始まる一節である。

Bob Cringely: TCP/IPプロトコルの開発の歴史を振り返ってみて、ここはもしかしたら今とは違っていたかもしれない、あるいはここはこうした方が良かったんではない か、と思ったりするところなどはありますか?

Bob Kahn: そのタイプの質問というのはしょっちゅう受けるんですが、歴史はどう変わっていただろうかというたぐいの質問ですし、なかなか答えられるものではありませ んよ。だって、例えば1900年に半導体とレーザーが発明されていたら、ラジオとテレビはどのようになっていたと思います?実際にはそのような状況を 再現することは出来ないですよね。

Bob Cringely: まぁ確かにそうなんですけれども、意地悪(unfair)な質問をするというのが、私の商売でもありますので。

Bob Kahn: 今とは違ってるであろうこと は間 違いないでしょうが、状況はまったく異なりますし、あまり現実的な話はできないと思いますよ。私たちは全般的に見て、かなり良い仕事をしたと思っていま す。まぁ確か に、もっといいやり方があったかも知れない、と思う部分もありますけれどもね。 当時やっていたことの中で、今考えてみると、あれはバカみたいだったなぁと思うような話というのを少し挙げましょうか。ARPANETでは16ビットのア ドレ スを使っていました。通信したい相手を指定するには、行き先のマシンを16ビットで表現していたんです。みんな一つのネットにつながっているし、 それで別に困ることはなかったわけです。いいですよね?

具体的には、行き先のネットワークはどこか、そのネットワーク上のどのノードであるか、そのノードの先のどの線につなぐか、という 情報を組み合わせて指定します。(一つのノードには)4本の線があって、4台のマシンをそこへつなげることが出来ます。基本的な仕組みはそんな感じです。 4つのワイヤのうちの どれを使うかで2ビット、確かその上に6ビットあって、最大で64台のノードを指定することが出来る、これで16ビットのうち8ビットが埋まります。他の 細かい用途のためにあと2,3ビットくらい必要かもしれないと思っていた。ARPANETでは、まずはそんな感じだったわけです。当時、「もっと大きな ネットワークを作ろうとしたら、もっとビット数が必要になるだろうな」と私たちは考えたので、(インターネットでは)一気に32ビットを用意することにし ました。自分たちの目論見としては --

Bob Cringely: それでもう十分だろう、と。

Bob Kahn: -- 半永久的に使えるはずだと思っていたんですよね。実のところ、私たちは32ビットのアドレスを用意して、最初の8ビットがどのネットワークを指すかを指定 する、という設計をしたんです。8ビットあれば256通りの組み合わせになる。AT&Tには専用のネットが必要だろうし、国防総省も同様 かな、これ で2つ。 ヨーロッパに1つ用意するとして、これで3つ。多分日本というか、アジア太平洋地域あたりでも1つ必要だろう、これで4つ。それを2倍して、8になる。さ らに2倍すると16。さらに2倍して32。どう計算しても、256という数字は、はるか彼方にあるように見える。ところが私たちがすっかり見落としていた ものがあった。パーソナルコンピュータの出現というものを全然予想していなかったんです。たとえば一つの建物の中にローカルエリアネットワークがあって、 そこに沢山のコンピュータがつながっている姿というのは考えていなかった。ところが間もなく、そこらへんの話が一気に現実的になってきたわけです。 XeroxがAltoとEthernetというものを出してきて、(こういうのが普及すると)8ビットでは足りなくなるだろうということが私たちにもすぐ 分かった。これに対処するために、仕組みを考え直す必要があったわけです。でも32ビットのアドレスというのはそのまま残りましたし、現在でも32ビット のアドレスが使われていますよね。これはIPプロトコルのバージョン4、略してIPv4と呼ばれるものです。今はそれをIPv6と呼ばれる、128ビット のアドレスを使うバージョンに移行させるべく、いろいろな人たちが活動していますが、移行作業というのはなかなか難しいですね。全てが一体となって動い ている世界で、一部分を取り替えようとすると、後方互換性の問題がついて回りますし、スムーズに移行するにはどうしたらいいかというのが課題になります。 ともかく、この件は最初ではかなりのヘマをやったけれども、システムの柔軟性を十分に確保しておいたおかげで乗り切ることができた、という話の一例である と言っ ても良いかと思います。

Bob Cringely: そうですね。確かに、実際のところ私たちはまだ --

Bob Kahn: (IPv4を)使い続けていますよね。

Bob Cringely: -- 32ビットのアドレス空間でなんとかやっている、と。

Bob Kahn: でも、8ビットではまずいというのは、最初の設計をした後、半年から1年くらいですぐに気がついてしまったんです。

Bob Cringely: そうなんですか?

Bob Kahn: ところが、設計している時には、8ビットあればもう十分、完璧だろうと本気で信じていた。

Bob Cringely: (笑い)

NerdTV #12: Bob Kahn by Robert X. Cringely and PBS福 盛秀雄訳)

これで、ARPANETに始まり、インターネット、TCP/IPの登場と、そしてその設計の背景までの話が一通り出揃っ た。改めて一覧を出しておくことにしよう。

「昔からそういうものがあったのが当たり前」と感じてしまいそうな技術にも、それを作った人というのは必ず存在していて、ちょっと話を 聞いてみると、驚くほどの知恵や、いろいろな失敗の物語を見つけることが出来る。一 年ほど前にも書いたが、「過去の発掘」というテーマは、機会がある限り、この日記上でも引き続き、積極的に取り上げて行きたいと思 う。


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2006-03-16

"オープンソースカンファレンス2006"参加予定

今週の土曜日に以下のセッションを聴講するつもり。(ちなみに昨 年はこんな感じだった)

15:00からのセッションでは他に「翻訳BOF」というのもあるようなのだが、噂の「カーネル読書会」も見てみたいということで、ま ずは上のような感じとなった。(実はまだ迷っている)

あと、懇親会にも参加する予定。

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福盛秀雄/Hideo Fukumori

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